ピアノというアイデンティティ❶

こんにちは♫
ピアニストの吉田太郎です。

今日は私がピアノという存在を
どのような位置付けで考えているか
ということについてお話します。

小さい頃から音楽に囲まれて
育った私にとっては、
常に隣にピアノがあるのが
当たり前の生活でした。

それがいつからか、
自分とは誰か、自分は何か??
ということを説明するために
欠かせない要素として、
ピアノを位置づけるようになった。
いわゆるアイデンティティとして
考えるようになったわけです。

小学校、中学校、そして高校と
特に音楽関連の学校に行くでもなく
いわゆる普通科に身を置いていると
勉強が得意な子、スポーツ万能な子
絵を描くのがとびきり上手い子など
それぞれ得意分野に分類されます。

私の場合、中学校までは
勉強もある程度は良い成績で、
ピアノも弾けるというような
立ち位置にいたようです。

そんなこんなで
高校受験を受けるにあたり、
市内では一番勉強のできる
高校に進学することになります。
ここまではいわゆる"普通"の
流れで来たわけですね。

それまで勉強という分野で
ある程度のアイデンティティを
確立していたわけですが、
当然ながら高校に上がれば
みんな頭が良い。
そして頭が良い高校なのだから
当然これまた有名な大学に
進学するのがスタンダード、
という環境に身を置くことに。

そうなるとどうでしょう。
勉強とピアノという二つの物から
勉強というアイデンティティは
自分の中で形を変えていきます。
残るはピアノという一つだけ。

中学校までは勉強が何となく
できてしまっていましたが、
別段、勉強が好きではない。
むしろ高校に入った途端に、
四六時中勉強しているような
環境に嫌気がさしてしまい
全く手につかなくなりました。

ただ、ピアノを弾くのは好きで
最初こそサッカー部に入部するも
半年で退部届を出し、
(これは黒歴史の一つです。笑)
伴奏がしたいからという理由で
合唱部に入部することに。
ただ、開けてみれば伴奏付きの
合唱曲なんてほとんどない。
アカペラ中心の合唱という世界に
身を置くこととなったわけです。

※合唱部時代についてはまた
詳しく書かせて頂きます。

そんなこんなで、
勉強するのが大嫌い、
人と同じことはやりたくない、
というひねくれた生活を送り
気付けば大学受験が目前です。

さて、どうしたものかと。

浪人50%が当たり前という、
私の通っていた高校でしたが
浪人なんて真っ平でしたし、
何しろ1年間も浪人しようものなら
自分は遊んでしまうことが
目に見えていました。

周りのみんなは高校3年間
勉強してきたことを生かして
大学に行く。
じゃあ自分が武器にできることは
何かあるだろうか??と、
考えた時に思い付いたのが
やはりピアノであり音楽でした。

しかし、単純にピアノができるから
ピアノ専攻に進学したとしても、
恐らく高校時代の勉強同様に
アイデンティティとして
考えられなくなってしまうのでは
ないだろうか??
嫌いになってしまうのでは??
という危機感がありました。

そこで私が出会ったのが、
音楽を学問的な視点から研究する
音楽学という分野でした。

ここなら、勉強ができた自分、
そしてピアノが好きな自分、
そのどちらも活かせるだろうと。

次回は音楽学に身を置いたことが
私がピアノを続けるきっかけと
なったことについて書こうかと。

長くなりましたが、
今日はこの辺りで。

次回もお楽しみに♫